2017年12月新刊 松山佐代子『そ・ら』
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【書誌情報】
書 名: 『そ・ら』 著 者: 松山佐代子 四六判変型(h173×w128) 並製・314頁 定価1,540円(本体1,400円+税10%) 発行日:2017年12月7日 ISBN978-4-88208-152-4 |
◆◇著者プロフィール◇◆
松山佐代子(まつやま・さよこ)
1944年8月 神奈川県秦野市に生まれる
1997年7月 大阪在住の頃、五行歌の会入会
2007年10月 豊中歌会代表
2011年11月 秦野市に転居
◆◇目次◇◆
第一章 蒼 穹
第二章 生きるにきまっちょる!
第三章 ウフフフ 悪い姑だよ
第四章 鳥の貌
第五章 不採用通知
第六章 雪富士
第七章 スニーカーは空の色
跋 人の魂の極限を 草壁焔太
あとがきに代えて
◆◇人の魂の極限を◇◆
「そ・ら」と
大空に向って言う
「ら」の音が
バイブレーションになって
みるみる青に吸い込まれる
この本の表題となったこの歌を見たとき、私は雷に打たれたように驚いた。うたは呼吸だと言っている私の論をうたとして表してくれた言葉が出てきたと感じたからである。
よいうたは、息づかいのある言葉で成っている。そして二度と同じ言葉が人から出てこないような象を取って現れる。「そ・ら」は、私たちのもつ共通のことばであるのに、松山佐代子といううたびとだけが発し得たことばであろう。
また、このうたびとの見上げる青は、「ら・ら・ら・ら・・・」で満ちている。それは哀しみの深さであるような気がする。と同時に、「そ・ら」という言葉が生まれた心の由諸を教えてくれるうたともなっている。「ら」はやまと言葉では、空、原、たいら、洞のように広い空間を表わす音である。
それは広さを求める心の音で、空を見上げる心に大昔からバイブレーションしていた音だったのだと。
と、同時に、五行歌というこの新しい独自のうたの呼吸を、「ら」の音でつづったものであるとも…。日本語にはこんな歌があると、世界の人に言おうとするとき、私たちはどれほど誇らしいかしれない。
(中略)
自分で生きることを決心した女性が、その後のノラを生きながら、悪戦苦闘するなかでの歌である。一人で生きることによって、強くなったようだ。相当の苦難もユーモアにしてしまううたびととなった。
原点の少女を色濃く残しながら、嫉妬も拗ねも疲れもユーモアにして乗り越える。私がこのうたびとを認めるのは、上下左右への深みと幅の大きさである。
私自身が尊敬を覚えるほど、なんでも歌にできる人となった。
(五行歌の会主宰 草壁焔太 跋文より)
◆◇著者あとがきより抜粋◇◆
五行歌に出会ってかれこれ20年近く経ちましょうか。ほら、時々呟きの様な言葉を綴っていたでしょ。それがきっかけで入会しました。何時かは集大成したいと思っていましたが、やっと決心したのです。拙くて恥かしいのですが、私にとって愛しい歌集になりました。
私も人並みに色々な事がありましてね、弱虫で泣き虫でしたから、何かあると豊かな自然の中に心を沈めていたのです。自然は無言で心模様を染めてくれるのです。草に結んだ朝霧が小さな生命を堪えているとか。もちろん、その感動を沢山歌にしましたとも。
さて、お気付きでしょうか。寂しい歌が多いでしょう。この時に、見えてきたものがあったのです。この経験は良かった。結果論ですけどね。経験て大事。書き続ける事も大事。
鳥を抱く
樹であれば
私の愛しみも
抱いてくれるか
逢いに行く
この寂しさを溯ると
草の容が見える
失った日々の
白い時間の淵にそよぐ
草の葉よ
あじさいの
むらさきを
泪ごと受けとめる
ふたつの掌の
大きさ
夜をぬける
静寂のなごり
つゆ草の瑠璃を
心の湖の
色とする
宇宙の水の循環の
飛沫の一滴が
この生命なのか
あとからあとから
涙が湧き出る
ハムレットのポスターが
「生か死か」と問いかける
生きるにきまっちょる!
毎朝応えながら
改札へ急ぐ