昨二十六日は、五行歌25周年の京都講演会、「五行歌を書く目的」という題でお話しました。場所は西院の京都労働者総合会館。
人は、いろいろな欲望を持ち、その欲望は、生きるために必要なものであり、そのためにいろいろな面を持つことになる。人は、曖昧になりやすい。そこで、そういう自分をはっきりとらえるために、詩歌のようなものを生涯書いていくのがよい。 なかなかまとまらないのが人間だが、五行歌のような詩歌を書いていくと、その人の背景によい歌が見えてくるようになる。その人のよい歌を、その人を見ると感ずるというようになる。 これは芸術創作が、人間を一つの山にするようなもので、人は山を見るようにうたひとを見るようになる。 その山を見て、憧れたり、うなづいたり、信じたり、愛したりする。そういう自分を作るために、詩歌を書く。人は、とくに日本の人は、生涯かけて詩歌を書くことによって自分を磨き続ける。 詩歌には実利実益はない。にもかかわらず、生涯これを続けるのは、よい歌に憧れるからである。そのあこがれをとおして、人とも大きな太い繋がりを持つ。 最近は、災害を通して、人と人のつながりのことがよく言われるが、最も太い繋がりは、こういう創作活動を通しての繋がりではないかと私は思う。私は四歳八ヶ月のとき、啄木のある歌を聞いて、この世でいちばんよいもの美しいものと思い、こういうものを作る人間になろうと決心し、五行歌という様式まで作ることになり、多くの方々に書いて頂いたが、これは私と啄木の繋がりにはじまっている。 このたびの額田王の発見も、歌へのあこがれから起きた大きな繋がりであり、額田王はまさに現代の五行歌人のように、主体性を明確にするうたびとだった。これは、五行歌人だから、探し得たものと思う。 そういう話をしました。六十人が満席で、その後四つのグループに分かれてて、即詠による小歌会を行いました。 私は、新しい方々の素晴らしい歌に驚きました。その上位の歌は、七月号に掲載されましょう。呆れるほどよい歌が多く、五行歌のあたらしい可能性を感じました。 すばらしい一日を、ありがとう!! |
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