新年号無事入稿、年内に発送します。元旦あたりに着けばと願うばかり。来年は五行歌25年で大いに頑張るつもりですが、私はこの年末年始、『額田王は生きていた』に没頭します。 今、最後の文献読み直しに入りました。一般書類の問題の箇所を読み直し、常識のなかにおいた場合の自分の意見がどんなものかを確認し、一気に書いて行こうと思います。 全集など一般的に権威あるもののなかで、相当、異なるところもあり、万葉集はまだ決まっていないところが多いと、慨嘆します。筋違いの意見が正当なものとして通用していることも多く、どうなっているのかと思うところもあります。 思い込みの学、といっていいようです。 私のも思い込みだといえそうですが、誰を信用するか、に私は重点を置いています。柿本人麻呂、額田王、天智天皇、持統天皇、といったところにまず信用を置き、途中で書き込みした山上憶良はまったく信用しないという立場に立ちます。
額田王の歌を再発見したということは、非常に大きなことで、これによって乙巳の変から壬申の乱ーいたる歴史も明快になり、斉明、天智、額田王、中臣鎌足らの性格などもきわめて明確になり、このあたりの歴史がはっきりと見えてきました。 歌と漢詩の文化もこの間に始まり、日本人が日本人なった時代がここに始まったと言えます。この時代を準備したのが聖徳太子で、天智天皇は聖徳太子を引き継いで行こうとしたところが見られます。 彼は、額田との恋が文化の始まりと思うくらいのロマンティストで、額田王も恋のほかに生きる意味がないと思うようなロマンティストでした。 そのことが、新発見の歌からはっきりと見えてくるのです。
大変なことになりました。この本の書き方に長い間悩みました。何度も書き直しました。最近は、あまりそういうことに悩まなかったのです。
昨夜、忘年会の後で、もう一度根本から考え直し、書きにくいのはなぜかを考えました。理由はわかりました。あまりにも、考えられないような、新しい発見だから、書きようがないのだと。 いままでに、こんな刺激的な新発見の事実が本に書かれたことがない、と思ったのです。額田王の作品が二倍になっただけではありません。 日本文化の始まりが明確になったというくらいのことです。 この本ができて、ぜんぶ読んで頂ければわかると思います。
この本には、五行歌の一章も設けます。五行歌の目で見てわかったことだし、日本文化の始まりにおいて、五七五七七和歌と五行歌が分かれているからです。五行歌は古代歌謡のうちのもう一つの道です。この道が加わって、日本の文化は初めて十全の姿になる。その味わいは、額田王、人麻呂の長歌にある程度残っている。これが、私の日本詩歌文化論です。
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